95式と99式8センチ高射砲 投稿者:チヘ 投稿日: 2月 5日(月)17時50分47秒
今月のパンッアーに88ミリ高射砲の記事が載ってました、その中に4式7センチ半高射砲
のもとになったボフォース75ミリ高射砲のことがかいてありましたが、99式については
何も書いてありませんでした。99式の元になった88ミリ砲はどの形式にあたるのですか?
九九式8糎高射砲 投稿者:落馬童子 投稿日: 2月 5日(月)20時24分12秒
>チヘさん
>>99式8糎高射砲
独軍兵器にはあまり詳しくありませんので正確ではない点も有りますが...
独・クルップ社製、一次大戦型(の準同型) Flak18(18年式高射砲)
口径−88o 砲身長(口径)−48 分割運搬式固定型
ヴェルサイユ体制下、兵器開発技術の保護育成の為パテントを下ろした周辺国(スウェーデンでしたか?)に於いて生産の継続/改良を続けていたモデルを再軍備以後、独本国で生産を再開し輸出が行われたもの。 国民党軍により輸入、使用中の物を日華事変初期に捕獲、見取りの上国産化。
この様なものであると記憶をしております。
第1時大戦時の88? 投稿者:チヘ 投稿日: 2月 6日(火)15時17分21秒
落馬童子さん
私も独自に調べたところ小説家の青木基行氏が自作の小説のあとがきで口径、閉鎖器が違うのでflak18ではなく第一次大戦時の88ミリ砲ではと考えているそうです。
それで今月のパンッアーで言うところのkwFlakのような気がします。
サターンの大戦略やりました。でも私はキャンペーンは仮想戦記のでしかやってないのです。
あれは、海軍砲ですよ 投稿者:あきんど 投稿日: 2月 6日(火)16時40分48秒
チヘさん、落馬童子さん
九九式八糎高射砲の元になったものは
独逸海軍のものですよ
海岸要塞などに設置されていたものらしいです。
海軍砲だったとは 投稿者:落馬童子 投稿日: 2月 6日(火)23時16分46秒
>チヘさん、あきんどさん
>>九九式8糎高射砲
一次大戦型Flakとゆうだけでその戦間期型の18型だと思っておりました、大変失礼致しました。 それにしても海軍砲だったとは。(この辺りの事は「日本の大砲」に記載されているのでしょうか?) ここでゆう独海軍とは共和国海軍ではなく皇帝陛下の海軍の事だと思いますが、とゆう事は戦間期に造られた新造品ではなく一次大戦の独軍装備の放出品なり戦時賠償品なりを国民党軍は購入/運用し、それを捕獲した旧陸軍はその二十年も前の兵器を九九式として採用した事になりますね。
過去ログは宝です 投稿者:むー 投稿日: 2月 7日(水)01時34分44秒
>チヘさん、落馬童子さん、あきんど さん
>99式の元になった88ミリ砲はどの形式にあたるのですか?
去年の3月この掲示板に唐澤 正さんから情報を頂いています。
>九九式八糎高射砲の正体 投稿者:唐澤 正 投稿日:03月11日(土)02時17分50秒
>
>その正体はドイツ海軍が使用していた 8.8 cm SKC/30 "Warships International
No.2,1985"
>記事中に中国が輸入した88ミリ高射砲は56口径の移動式と40口径の固定式で後者は多分海軍用だろう。
>"ANTI-AIRCRAFT GUNS" (昔懐かしいFACT FILEの一冊)に九九式八糎高射砲はそのデザインの多くを特にSKC/30に拠っていると。
>"NAVAL WEAPONS OF WORLD WAR TWO"(第2次大戦中に各国海軍が使用した全ての兵器が載ってる本ですが、航空機搭載ロケット弾、
>照準、電波関係も含む)でSKC/30の要目を見たら九九式とほぼまんまでした。
>と言うわけで十中八九日本陸軍の九九式八糎高射砲はドイツ海軍のSKC/30の無許可コピ−だと思います。
>
>補足 投稿者:唐澤 正 投稿日:03月11日(土)03時57分21秒
>
>ほぼまんまだったのは砲身の全長、弾量、高低射界などです。
>砲身重量はSKC/35 1230kgに対し 九九式 1750kg
>
>その訳は 投稿者:唐澤 正 投稿日:03月12日(日)03時38分09秒
>
>ドイツ海軍が第2次大戦で使用した88ミリ高射砲には以下のものがあります。
>
>8.8cmSKC/31L72.05 ポケット戦艦に搭載(後に10.5cmSKC33に換装)
>8.8cmSKC/32L72.05 軽巡ケルン・クラス、ライプチヒに搭載
>8.8cmSKC/30L42.11 軽艦艇搭載用・駆潜艇・対空コルベット等
>8.8cmSKC/35L42.40 初期型タイプZ型Uボート、タイプ40型掃海艇、駆潜艇
>
>第一次大戦型
>8.8cmFlakL45 戦艦シュレージエン、軽巡洋艦エムデン、対空コルベット
>
>以上のような装備状況です。
>
>ドイツ海軍砲ここにあります 投稿者:唐澤 正 投稿日:03月19日(日)23時33分31秒
>
> http://www.warships1.com/index_weapons.htm
>このページでGERMANYをクリックすると第一次大戦から現代までの大砲が出てきます。ただしSKC/30が無
>いのが欠点なのですが。砲尾部を見るとSK/L45は九九 八糎に酷似しているのですが、砲のエレヴェーション
>のデータからSKC/30ではと考えました。この辺が確定ではなくて十中八九の理由です。
ライセンス料支払っているよ 投稿者:あきんど 投稿日: 2月 7日(水)03時11分57秒
むーさん
九九式八糎高射砲は確かに無許可コピーなんですけど三国同盟締結後
悲しいことに事後承諾という形でライセンス料を支払うことになったようです。
ですから正確には無許可じゃないですよ
父と九九式八糎高射砲の事 投稿者:ハ号 投稿日: 2月 7日(水)19時32分45秒
ネタでも何でも無く、どうやら父(大正十年生まれ)が戦争中九九式八糎砲を撃っていたようなのです。私が中学生当時タミヤの88ミリ砲が発売されたころ、日頃プラモデルをあまり作らぬ父が非常に興味深げに買い求めました。そして自分も88ミリ砲を撃っていたこと。
観測兵であの横長の測距儀を扱っていたこと。陣地に爆弾が落ちるとそこには兵士の影も形も残らず、陣地内壁が真っ赤になっていたこと等を話して
いました。(別にタブーというほどのことも無いようですが、その後父は戦争体験についてあまり多く話すことは無く、私も敢えて聞くこともありませんでした)
父は戦後ソ連に抑留され、幸いにも帰還できました。この当時の「社会主義国:ソ連」の状況は今でも実に良く話します。曰く、ソ連兵は掛け算九九を知らないので、日本兵が整列した人数を即答した時に驚嘆したこと。時計のネジを巻く事を知らず、修理を依頼に来たソ連兵からネ
ジを巻いただけで驚嘆された事。またパン焼き工場で彼らは、わざとパンを表面だけ焦がし捨てさせて、内側の食べられる部分を後でせしめていた話など、既に社会主義国の病理的部分をその当時から感じていたようです。まもなく八十歳になろうとしていますがお蔭様で元気でおります。
九九式八糎高射砲の残骸 投稿者:旋風児 投稿日: 2月 7日(水)20時04分31秒
千葉の陸自高射学校に九九式八糎高射砲の残骸が展示されています。
何処かの高射砲陣地の不発弾処理の際に掘り出したものだったと記憶していますが、
閉鎖機から数メートルの部分で砲身が破裂しています。
写真も有る筈でなので、希望があれば探してみます。


九九式戦車砲の資料 投稿者:落馬童子 投稿日: 2月 7日(水)23時19分56秒
>旋風児さん
>>九九式高射砲の残骸
と、ゆう事は本砲の完全な物は現存していないのですか? 残念です。
四式高射砲とは違い数が造られましたから何処かに残っているものと思っておりました。
(無題) 投稿者:めけけ 投稿日: 2月 8日(木)01時07分27秒
>SKC30
P誌92/9 71頁にC35海岸砲が載っています。九九式八糎高射砲とはまるっきり別物ですが3本の抽筒子が類似しております。前から考えていたのですが、だれか九九式まんま(上部3本の駐退複座機)のチリ8糎フィクションモデルを作りませんかねえ。いや、ただ五式戦車砲の拡大は見飽きただけで、後座量や砲耳位置の問題、しかも芸が無いのはわかっております。
投稿者:チヘ 投稿日: 2月 9日(金)19時17分52秒
88ミリ砲にかんして教授ありがとうございました。
私が始めて99式を知ったのは松本零士先生のザ・コクピットで知ったのでそのときにドイツの
88ミリ野戦高射砲がルーツを書かれていたので、ずっとそう思ってました。
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